幾望報

きねもておもちつけ

令和餅

令和になったのでブログを始める。

特に意味はない。なにかきっかけが欲しかっただけだ。

 

夜更かししてしまって眠さが極まっておるので手短にするが令和について述べる。

元号が令和に決まってから、少し万葉集を調べている。といっても本当に少しだ。手近な図書館にあった万葉集をいくつか並べてみてそれぞれ解説を読む程度だ。

万葉集は「万葉仮名」という言葉があるように、いろはの一音一音を漢字で表記することで歌が記録されているのだが、どうも今回の「令和」の出典となったらしい部分はニュースによって少しずつ文言が違うのが気になっていた。該当箇所を見つけてみるに、やはり原文は歌と同じく漢字なのだが、大きく違うのはその文の形式だ。

問題となった序文は歌と違い、漢文で記されていた。漢文を訓読、つまり日本語として読む上では、大まかな意味は共通していても、訳者によって詳細の読み方は変わってくる。ニュースによってブレがあるのはこのせいだった。同じ万葉集を典拠としていても、それを引用している本の年代や出版社で訳者は当然異なる。いくつか並べると分かったが、みんな本当にバラバラな読み方をしているので、ぜひ組み合わせるなどして自分だけの最強の「令和典拠」の訓読をみつけてほしい。

 

ところでいくらか話題になっているようだがこの「令月~風和」という文言はどうも万葉集が最古というわけではないようで、聞けばもっと何百年も前の中国の書物にいくつも出てきているのだという。それもこれまで元号を採用されてきた書物にまで含まれているとか。

それに加えて、どうも序文の解説を読んでいると、この序文自体が作者である大伴旅人が中国の有名な書物の一説を参考に(いわばパロって)作られたものなのだという話まで出てきた。パロディやオマージュというのは前提知識がないと理解できないわけだが、古い文化では和歌の本歌取りに見えるように「引用元のことはまあみなさん当然知ってますよね」という体で過去の名作が引用され、鑑賞する際にも当然その引用元の歌の意味や物語の背景などを含んで読み解いていく。であれば時の超エリート知識人たる大伴旅人が古の漢文の形式になぞらえて序文をしたためているのに引用元が関係ないはずがない、といって解説しているとある教授の話をpdfで読んで感銘をうけた。私は。単純な人間だからな。だからこの話はほとんど受け売りだ。

しかしまあ思考停止はしたくないと思って今度もまたその原典らしきものを当たって再び並べて比べてみようなどと思っているのだが、今もってそこまではたどり着いていない。王義之の蘭亭序なんてどこにあるんだよ。検索しても書道の本しか出てこないんだよ。どうやら書道界ではウルトラ有名な人らしい、王義之。知ってる?私はしらない。勉強してこなかったからな。

 

というわけでオチもなにもないわけだが元号も変わったことだしそこは恩赦をいただこう。

まだ私の調べものも、始まったばかりなのだから。令和だけに。