幾望報

きねもておもちつけ

エア餅

退勤後に街灯のまばらな道を車で帰りながらその日あったことを思い出し、自分がどんな言動をしたかボソボソと再現したり、本当はこうした方がよかったのではないかというifの自分をその場に作り出してボソボソ演じたりということを、どうもたびたび無意識にやっている。

疲れているらしい。近頃また帰りが遅い。

 

いつの間にか息子も2歳になろうとしていて、コミュニケーションのバリエーションが増えてきた。何かを食べるまねをしてはオイチーヨと言ってみたりこちらに何かを食べさせてはオイチーヨと言ってみたり、そういったことはこれまでもあったのだが、少しずつ物を何かに見立てて遊ぶことを覚え始めたようだ。なにやら卵のおもちゃを床に走らせてブーブー言ったりしている。

今日は帰るなりソファーの前に座らされて、ソファーの方を向くように引っ張られ、自分も同じ姿勢で横にきては、何もない座面を真横から見るくらい身を屈めて、何かぶつぶつ言っている。大人の目にはただのソファーでしかないのだが、1歳なんぼの息子はそこに何かを見るらしい。同じように身を屈める。何もないのでふーんと思いながらわからないなりにそうかそうか誘ってくれてありがとうと立ち上がろうとするも、強い力で引き倒されてまた同じ姿勢を求められる。何かを見ているのは確かなのだがルールがわからない。何度か飯を食おうとしたが幾度となく引き戻され、一緒に虚空を見つめてモニョモニョと言うこととなった。残念ながらまだなにも見えてこない。

大人が切り替えについていけないだけで、子供の遊びにはその瞬間瞬間のルールが確かに存在する。そこにイマジナリーな存在が絡んでくるともう収拾がつかない。とはいえ思い返せばそれは物心ついてからも自分がやっていたことだった。向こう10年くらいはよくわからない遊びを目の当たりにするのだろうなと思う。

自分もそうやってきたせいかいまだにイメージ癖が抜けないんだが、これが厄介なことに無意識に発動して、かつわりと脳のCPUを持って行くので、周りの景色がifのイメージに支配されて意識できなくなることもある。運転中に危ないことが何度かあった。どうにかならんものかしらん。

 

眠い。