幾望報

きねもておもちつけ

パン餅

何かで気持ちがズンと沈んでいかんともしがたさが自分の外にまで漏れ出ていると、たいてい妻が「家のことはいいから、なんでも好きなもの買ってきて元気出して!寄り道してきてもいいし」と気を遣って外に行く口実まで作ってくれるのだが、私はというとそう言われて好きなものを買ったり好きなところへ寄ったりして帰れたためしがない。

沈んでいるときはなにをやってもダメだ。本当にダメだ。すべてが灰色だ。だからまっすぐ家に帰る。

今日は別の用事もあったので外に出ることはわかっていたのだが、肩を落として家を出ようとすると、妻が先の言葉を翻してこう言った。

 

「そうだ、パン買ってきて。パン屋さんで。明日の朝の食パン。あとは今日のお昼の分も!」

 

妻にはこういうところがある。

しかしこと今日においては、この提案に救われることとなる。

 

用事を済ませて午前11時ごろに近所のパン屋に到着した。自分のほかに客はいない。久しぶりにトングを持とうとした矢先、消毒用のアルコールらしきポンプが目に入る。もう食傷気味ではあるのだが、まあやるにはやる。もうこの歳になると選びながらカチカチと鳴らすことはないけれども、それでもトングとトレーを手にした時の高揚は衰えないものだ。居並んだ獲物を前に目をらんらんと光らせる自分がいるのがなんとなくわかる。

 

思い返すに昔から私はくるみパンが好きだ。

小学校のころ、母がパンを買うというと必ずくるみパンを含めてくれるよう頼んでいた。くるみの香ばしさともちもちの食感もさることながら、くるみパン独特のあのふくらみと照りがたまらなく好きだった。今でもコンビニでパンを買うときは必ずと言っていいほど手札に加える。

またカレーパンが好きだ。これはもうカレーが好きなのだから仕方がない。周囲の衣がカリカリなのがいい。でも具が少ないとかなりへこむ。あのねっとり感はかけがえがない。

ベーコンエピも捨て置けない。当時はそんな複雑な名前は覚えられなかったのであのベーコンのかたいやつ!!と呼称していたのだが、習い事から帰るに迎えの車の中でもそもそとかじっていたのを今でもよく覚えている。あの先っぽの噛み応えはなんともいえない。

あと名前はわからんがチーズの立方体がごろごろ中に入っているやつもよく食べていた気がする。チーズもおいしいからこれも仕方がない。

中学高校と少し自分のお金で食べ物を買うようになると、部活の練習試合帰りに寄り道できるパン屋でたまにクロワッサンを買った。面白いことにそれまで食べていた母の買ってくるクロワッサンはほとんど全部ふにゃふにゃで「こんなもんか」というパン代表だったのだが、その店のクロワッサンは表面の何層もがサクサクとして、塩味だけでなくほんのり甘くて、それはもう衝撃を受けた。一つ180円。GEOしか娯楽のない田舎の中高生にとってはパン一つのために払うにはそれほど安い値段ではない。しかし食べた。零れ落ちて袋に残った一片に至るまで、食べた。

同じ店でクイニーアマンも知った。言わずと知れたパン漫画の金字塔『焼きたてじゃパン』を当時読んでいた関係で初めてその名を知ったのだが、まずそれがきちんと現実に存在していることに感動したものだ。練習試合の後は何かその時の気分で一つ選び、あとはクロワッサンとクイニーアマンとミルクでイートインして優勝。部活は負け続きだったのでここで巻き返しを図っていたのだ。たださすがに懐が心もとなかったので、のちに昼食代としてきちんとこの分は支給されることとなった。

大学生になると学内のパン屋に通った。特に何を買ったか覚えていないところを見ると、恐らくは前述のようなおきまりのパンをいつもかじっていたのだろう。しいて言えばデザート替わりの甘いパンのバリエーションが増えた。デニッシュ系は誠に宝箱だな。割愛する。

あとこれは恥ずかしい話だが、働き始めてそれまで以上にまともに自炊するようになって、やっとバゲットのうまさに理解が及んだ。バゲットはもとより、いわゆる味つけや具のないベーシックな様々なパン全般だ。だいたいこれまでそういったパンを買うのは、お米がなくなったときに場しのぎとしてスーパーで安いのを買ってくるぐらいのものだった。半額のもので十分だった。だがパン屋で買ってみるとどうだ。世界が違う。志摩スペイン村とスペインぐらい違う。味はシンプルなのになんにもつけなくても食べられる。どんどん食べてしまうのがもったいぐらいだ。

 

いやまったくパン屋というのは恐ろしい。

 

そんなこんなで今日訪れた近所のパン屋だが、住宅街に唯一のパン屋なせいか、価格設定がやや高め。たいていは200円以上するし、高いものだと小さくても300円台にもなる。しかしパン屋を歩くのに値段を見ていては気分が下がるばかりだ。そんなことを気にしていてはいけない。働いているのは俺だ。俺の金だぞ。パンぐらいでなんだオラ。このくらいの意気がないと、社会人としてパンに向き合うことはできない。

残念ながらこの店にはくるみパンはない。しかしカレーパンがある。衣は大き目、売れ残ったパンを削って衣にしているのだろうか。ザクザクとした食感が見るだに想像され、トレーに乗せる。フランスパン生地のクロックムッシュがある。これは以前食べて美味しいことをもう知っている。乗せる。そうだ妻はサンドイッチを食べたい食べたいといつも言っているから、とショーケースに振り向こうとしたが、途中でバゲットと目が合った。悩んでいるとその下からなんだかよくわからない大きなパンが見上げている。湯種ブールと書いてある。ポップにはなんだかよくわからないがうまそうな説明文がある。乗せる。そうこうしていると焼きたてのパンが運ばれてきた。値札を乗せるのを後ろからまだかまだかと待ち構え、店員が離れるやすぐさま確認した。塩バターパンに、ハーブとチーズの…もう読む前に二つともトレーに乗っている。ついで甘いものをと思ってデニッシュコーナーに振り向いたが、一回転して先ほど目の端に映っていた固めのパンに向き直る。ドライフルーツが練り込まれたシリーズで、よく買うのはクランベリークリームチーズのものだが……いちじくとあんずとクリームチーズ。ほおん。なるほどね。わかってるじゃん。乗せる。

いつのまにかトレーがいっぱいになってしまったので、他は諦めてレジへ向かう。

と、そもそも何を頼まれていたのか思い出した。

四つ切の食パンを1斤流れるように手に取る。

会計は全部で1600円だった。

 

車に戻ると、手にした袋から芳醇な香りが立ち上った。ああ。焼きたてだ。これは早く帰らねばならない。すぐ食べねば。これは。口元を緩めながら家路へ急ぐ。

かくして、焼きたてのパンにより私の沈んだ気分はだいぶん上へと押し上げられることとなった。かほどにパン屋のパンは馬鹿にできない。

実際選んでいるときはどうしても価格に目が行ってしまうのも詮無いことだが、それを選んでいる時の高揚感と、実際に家に持って帰るまでの期待感と、焼きたてを口にした時の幸福感とは、世の一切のやるかたない憤懣を解かして余りあるようだ。こんなに楽しんでこれだけの値段?嘘でしょう?しかしそう言えるのもきちんと買って食べてからのことなので、まだまだ自分も未熟である。

鑑みるにパンにはパン以上のものがあり、パン屋にはパンを売る以上のものがある。これはもはや創作的行為だ。パン屋はすごい。商売人でありエンターテイナーだ。エンターテイナーであり職人だ。何物にも代えがたい。パン屋こそがハイパークリエイターなのではないか?少し高くっても店構えがオシャレじゃなくてもうまけりゃいいんだよ。そうそう。我々は地域の文化拠点としてこれからもパン屋を守っていく必要があるな。

 

と、同時に自分ももうちょっと頑張ろうと思った。

また美味しいパンを食べるために。そういう話である。