幾望報

きねもておもちつけ

職人餅

先日、金属工芸を生業としている実兄の家へ遊びに行った。

近頃はキセルの制作に取り組んでいるらしいが、資料が少なくて難儀しているのだとか。作業場を見せてもらうと、いくつか実物を見ながら展開図を書いてそれに合わせて板を切り、切ったものを叩いて形を作っている。ちょうど自分も安物だがいくつかキセルを持っていたので、後日写真を見せて気に入ったものを封筒に詰めて送った。今日届いたそうだ。参考になるとよいが。

そのうちの一つに、金具が魚々子(ななこ)地になっているものがあった。魚々子とは魚の卵、魚卵のことだ。先端が円形に鋭く作られた鏨(たがね)という工具を金属の表面に打ち、少しずらして打ち、という作業を隙間なく行って作る、模様のことを言う。卵の大きさはまちまちだが、概して小さい。実際の魚卵の大きさほどで、直径1ミリに満たないような小さな丸模様を、少しも重なることなく均等な間隔で打ち続けていくのだという。おそるべき技術だ。

以前博物館を訪れた際見た、刀の鍔(つば)にもこの装飾が使われていたのをよく覚えている。非常に細かい造形で、透かしもあり、かつところどころに象嵌も施されていた。曰く、明治以降と江戸では職人の技量が段違いなのだそうだ。特に刀などの戦に使われた道具は、実戦での使用が少なくなるにつれてより美しく、美術品としての価値を高める方向にシフトしていった。それが極まった江戸時代は、そういう意味では平和だったのかもしれない。職人たちは今から見れば狂気の沙汰ほどの技量の極致を実践し、それを残している。もちろんすべてではないにしろ、それで生きていけたのだろうから驚きだ。

装飾に使われる技法は何も武具だけにとどまらず、様々な分野を横断する技術だ。螺鈿なんかも見れば見るほど狂気を疑う。まったく職人という人間は度し難い。

 

 

ついでに刀の話をしておくが、日光の二荒山神社というところに馬鹿みたいにでかい刀が祀られている。通常、いわゆるお侍が腰に差している打ち刀は長くて刃渡り90㎝、せいぜい70㎝程度のものが多い。さらに以前の平安鎌倉から戦国時代あたりでよく見る腰からベルトでぶら下げている太刀と呼ばれるものは、もう少し長いこともあるのだが。

ではここに納められているご神刀はどうかというと、なんと刃渡り216㎝。驚異である。

それだけでなく身幅(広さ)も尋常ではなく、通常の刀であれば3㎝を超えていれば幅広と思われるところ、この刀は5.6㎝もあるのだ。

さらに太さは2㎝。馬鹿か?と言いたくなる。不敬なのでこれ以上言わないように。

当然それだけでかい金属の塊であるから、重い。

重すぎるので並大抵の刀の造形では持つこともままならない。よって、刃渡りに加えて持つための柄まで長くなる。なんと柄だけで107㎝。普通の刀より長いのだ。全長の1/3が柄ということになる。

拵えを合わせれば総長331㎝、総重量24㎏の鉄塊だ。ベルセルクは日本に実在したのだ。

その名も「祢々切丸」。南北朝時代に鍛造されたらしく、かつて近所に巣食っていた「祢々(ねね)」という鬼を切り伏せたという伝説が残っている。実は同じぐらい長い刀があと二振りもある。これも馬鹿みたいにでかい。すまない、もう言うことはない。

 

とかく職人は度し難い、と、そういう話だ。