幾望報

きねもておもちつけ

病餅

少し前から難病にかかった、と父が言うので身構えていたが、こういう名前の病気でこういう状況で今はこういう治療をしている。まあ大丈夫だ。なんて冷静にいうものだからホォンと思ってしばらくさほど考えないふりをしてきたが、このほど年末年始の集まりを中止すると向こうから言ってきたものだから、なにやらざわりとしてきちんと調べてみるに、まあまあ結構な難病だということがわかり、やにわにKIMOCHIがバッドに入ったところだ。なぜすぐ調べないのだ。具体的な余命が出て来たぞ。

 

実際大丈夫なんかと電話で聞けば、まあ体調に変わりはないし薬は適合してちゃんと飲めているし、運動はできないが魚釣りはできるというので、まあ、大丈夫といえば大丈夫なのだろう。

あの父が大丈夫だというのならそれはそうだ。父はそういう人だからだ。

ただ根治ができない進行性のものを薬で抑えているという状況なので、これは確かに少しの生活の変化にも気を遣わねばならんし、この時期はただの風邪ですら怖いしで、まあこちらの心中もあまり穏やかではない。

とはいえ本人がこういう態度でいるのだし他に出来ることもないしで、どうしたもんかと腕を組み膝を組みしておるが、結局のところ人はいつか死ぬし、やはりいつか死ぬ。

 

父も私も、未だ齢を数えぬ息子もいつかは死ぬ。

だから問題はその死をどう待ち受けるかということに尽きる。

どう向かっていくかといってもいい。そのほうがポジティブだしな。

そしてやがて迎えるその時に何が人の隣にあり、何が人の手に残るのかは、決してすべてとはいかないまでも、ある程度は人の手に委ねられているのだ。ある程度は。

 

よくよく考えればこの父は、告知以前から自分で終活ノートと称して家と自分にまつわる諸々を息子らに説明するため文書にまとめておった。覚悟ができているのかは定かでないが、とりあえず起こるかもしれないことに準備だけはしておこうというのが、なんとも技術系の人間らしい。

とはいえ少なくとも父は日々母校のOB会報を作ったりなにやら謎の発明品を試作したりと忙しく過ごしているようなので、まあ、私の目にはまだまだ死ぬ気はなさそうに見える。

それでいい。それがいい。死ねねえよなそんな簡単に。

息子はこないだ10か月になった。

僕もまだ死にたくないよ。