幾望報

きねもておもちつけ

積み餅

買ったのに何年も読んでいない本がざらにある。積読だ。

学生時代に本当の本当にガチのマジで本を読まなかったことを卒業後から今に至るまでだらだらと後悔し、この歳になってから見よう見まねで目についた岩波文庫をたびたび中古で十冊ぐらい買うのだけれど、どうしたことかこれが1年で1~2冊しか進んでいかない。どうなっているんだ?

困ったことにここ数年は漫画でもそれが増えてきた。

新刊で買ったのにもう何年も本棚に寝かせてある漫画。続刊が出るから買うには買うがまだ1巻が読めていない始末だ。お前本当にどうなっているんだ。

さらにPCで遊べるゲームをセールの度に買っては積み買っては積み、これも何から手を付けてよいのかわからなくなってしまった。しかし勧められたものがあればまた安くなった時に買ってしまう。

テレビの未視聴録画件数も1000件近くある。時間がない。とにかく時間がない。

 

いや時間はあるんだ。時間はある。

でも時間が無いのだ。まこと奇ッ怪な次第である。

 

とにかく消化できるのは購読中の漫画続刊ぐらいで、どうもいろんな分野で新しいものに対して食指が動かなくなってきているのを感じる。あまり良くない傾向だ。

何かで読んだが、脳は外部からの情報で自身に変化が起きようとするとき、非常に大きな負荷とエネルギー消費に見舞われるので、できるだけそうした変化を避けようとする働きがあるんだそうで、それが「難しい本を読むと眠くなる」という状態なんだそうだ。

これは裏を返せば、新しいものになかなか触れられないのは変化に耐え得るエネルギーを保持できていないということなので、まあ自身の生活を省みるにむべなるかなという気がする。まこと本は若いうちに読んでおくべきなのだ。……などと言わずに今すぐにでも読むべきなのだが。

 

しかし、「やる気はやり始めないと湧いてこない」というのも脳の働きとしてよく知られるところだ。考える前に手を出してみるのをやめてはいけないのかもしれない。

 

そういうわけかどういうわけか最近何も考えずに買ってハマってしまったゲームがあって、これを『天穂のサクナヒメ』という。稲作シミュレーションパートとローグライクアクションパートを行ったり来たりする一風変わったゲームで、まあ、わずかな時間を縫うどころか夜中までこじ開けて夜更かししながら稲作に励んでしまうぐらいハマってしまった。稲作が上手くいくと主人公も強くなり、できた米を食べてまた強くなるという、とにかく米を食って体を動かせ、目の前の問題を片付けろ、という内容だ。

パワーだ。米はパワー。あと主人公が可愛い。

この熱を別のコンテンツにも転用できればいいのだが。

 

ひとまず今日は少しだけ録画を消化できた。

麒麟がくる万引き家族を見た。取り調べシーンの長尺ワンカットに引き込まれる。

 

まあ要は、とにかくオタクはTwitterを閉じろと、そういう話だ。